無菌室の中の患者たち

無菌室に入る前にはさまざまな準備が必要である。例えば剃毛-いずれ強力な前処置ですべての毛髪は抜け落ちてしまうが、あらかじめ頭髪は丸坊主にしてしまうし、陰毛をはじめとする体毛も剃らなければならない。これは、毛髪には細菌が付きやすく不潔であるからだという。

 もちろん、無菌寔に入ってから使う衣類も、滅菌するために事前に用意しなければならない。衣類だけではなくその他さまざまなものがいる。ティッシュペーパーや筆記用具などの日用品、本やオーディオ製品、ビデオにテレビゲームと、基本的には滅菌すればたいていのものを持ち込むことができる。なにしろ限られた空間で、これから当分は生活しなければならないのであるか

 まだ数は少ないが、最近では病院の外部にかけられる電話を備えた無菌室もある。少しでも無菌室にいる患者の精神状態を和らげる必要性からの配慮である。無菌室の患者にとって、電話は外界とのつながりを保つ有力なメディアである。

 とはいえ、無菌室の生活はたいへんである。狭い空間で過ごすということもさることながら、激しい副作用に耐えなければならない。間断なく持続する嘔吐と吐き気の中で、体内の無菌状態を保つためにこなさなければならないことがある。イソジンのうがいには、閉口する患者がほとんどである。つらい容態の時に、毎日決められた回数は欠かすことができない気道滅菌のネブライザーと消化器管滅菌のための抗生剤の服用は、さらに嘔吐感を増幅させ、想像を絶するつらさであるという。

 家族との面会も容易ではない。面会用の施設がある無菌室では、ガラス越しに面会することができる。その場合は、患者と面会者はインターフォンの電話を使って会話を行うことになる。そうした設備のない無菌室では、面会者はマスクに無菌ガウンという重装備で中に入ることになるが、その時もビニールカーテン越しとなる。

 基本的に、無菌室の患者は孤独である。そんな患者の唯一相手となれるのは看護婦だけである。患者と看護婦の関係はただ治療という目的のみならず、さまざまな形でコミュニケーションがとられることになる。無菌室治療における看護婦の役割はきわめて大きい、といえるだろう。

 一ヶ月ほど無菌室に在室して、一般病棟に移ることを許された患者の喜びにはすごいものがある。しかし移動の時には車椅子に乗るようにいわれる施設が多い。狭い部屋に長期間いたために、筋肉が落ちて歩けなくなり、途中で倒れてしまう人も多いのだそうである。

 実際に無菌室に入って骨髄移植を受けヽ今では元気に社会復帰している元患者の話を聞くと、

 「もう二度とあんなところには入りたくない」と答えるのが普通である。しかし、中には無菌室が好きだというちょっと変わった人もいる。「本当に清潔でいいところですよ」などという。だが、その人は一般人からみると異常なほどに清潔好きの人間であった。病院で共同の水道を使うときなど、蛇口をひねって水を使う前に、たっぷりと時間をかけて蛇口を洗うところから始めるほどの潔癖症であった。やはりこういう患者は例外だろう。

 たとえは悪いが、無菌室はやはり一種の刑務所の独房である。そんなところで快適に生活できるわけがないのは当たり前だし、目的も違うのである。

 しかし無菌室に対する考え方そのものも、最近では大きく変化してきている。かつては完璧なまでの無菌度を要求されてきたのであるが、そこまで神経質にならなくても良いというようになってきている。患者に与える威圧感の軽減も、その考えには入っているのだろう。それに前処置をはじめとする治療法も、当初からはかなり改善されてきている。さらには新しい薬が取り入れられて、患者の苦痛をずいぷんと和らげられるようになってきている。新薬の開発は、無菌室在室期間の短縮にも大いに役立ってきている。

 さまざまな面で、無菌室治療は大きな変化と改善が行われている。医療の進歩はまさしく日進月歩、いや秒進分歩といってもいいかも知れない。

 そのうちに、一般病室にいるのと大した違いのない無菌室治療が受けられるときがやってくるに違いない。それもきっと、そう遠くない将来であると確信している。