criticalと英訳しがたい発想

 斬れる英語というのが私のトレード・マークになってしまった。るようになった。『五輪書』の「火の巻」は何度読み返しても、身震いがする。            

 この箇所のキー・ワードを拾ってみると、生死二つ、命勝つ(敵を打果す)道となる。

 命を賭けること。これが勝つためのcrucial (要)であるとすれば、勝負に挑むか挑まざるかは、critical (生死にかかわる)な決定となる。つまり、critical (危機的)な選択とは、もし誤れば命を落とす、という危機意識に迫られた重大なchoiceである。

 生か死か。生死二つの利をわけ、敵の打つ太刀の強弱を知れば、1人で5人、10人を倒し、千人で万人に勝つことができるというのが、武蔵の斬るための道理である。

 日本人の英語学習者に欠けているのは、このcriticalという和訳しがたい発想である。

 critical situation (のっぴきならぬ状態)
 critical choice (決定的な選択)
 critical mistake (取り返しのつかない失敗)
 critical passage (人生の岐路、追い分け)

 人生がバラ色ですべてが順風満帆という状態では、どちらも正しい、という選択もあろう。だが、乱世はcrisis(危機)がいっぱいだ。

 のるかそるか、答えは一つしかないという状態において、不可欠な思考をcritical think と呼ぶ。この英訳しがたいcritical think (決断的思考)を鍛えるのが、debateである。このdebateの適訳がないのと同じように、criti-cal think の適訳もない。

 criticalを生か死か、白か黒かという二者択一状態を表わす形容詞だとすれば、基本的思考とは、生死という思考を避ける灰色思考である。それゆえ、日本人にとって英語を学ぶことは、先哲が教えたように「自然体でゴツゴツやるしかない」ことになる。

 それは、100人のうち99人までが同意する、無難な(敵をつくらない)思考である。私の英語学習哲学は、残りの1パーセントに賭けるcritical思考だ。英語は必死に学んでもモノにできない。ゴツゴツしてできるわけがない、と。真面目にステップ・バイ・ステップで学べば、英語はlook(見)できる。しかしsee (観)できないのだ。

 英語をモノにしたい。そのための努力をすることは、だれしもが認めるようにcrucialである。しかし、そのための道は、I、自然体でゴツゴツやるか、2、自然に逆って無理するか、のいずれかである。

 前者の道を説く人は99パーセント、後者の道を説く人は1パーセント。私の英語の道を信じる人は50パーセント、信じない人は50パーセント。そして私の英語道を信じる人が私の学習法を実践するかどうか、となると1パーセントとなる。この「どちらの道を選ぶのか」というのが、誰もが避けたがるcritical choice である。私の道を求めると、It will make a critical difference. (英語が飛躍的に伸びる。)しかし、両方の道をとろうとリスク・ヘッジをしようとするものが圧倒的に多い。そして、永久に英語をモノにすることができなくなる。それはcriticalmistake (とりかえしのっかない失敗)なのだが、みんなが同じ間違いをし、みんなが同じように致命的なミスを犯すので、その重大さに気づかないままだ。

『英語は格闘技』 松本道弘