ノースショア出産センターについて


出産センターという新機軸を生み出した一部の助産婦は、お産のプロセスが過度に医療化し、非人格化していると感じています。アメリカン・カレッジ・ナースミッドワイブスの学長は、「私たちは妊婦と出産を医学的な問題ではなく正常な生活の一過程としてみています」と言っています。ノースショア主産センターの設立にかかわった看護師のドロシー・クエルは言います。「出産センターでは、母親は拘束されません。外へ出て歩いてもいいし、リビングルームですわていても、病室で休んでいても、入浴してもいいのです。分娩もしゃがむ、寝る、座るなど自由な姿勢でできます。面会時間の制限もなければ、分娩に立ち会う家族や友人の数にも制限がありません」出産センターにはさらに利点があります。センターの助産婦は母親やそのパートナーと妊娠の初期からチームとして関わるので、母親は慣れ親しんだ支援者たちに囲まれてお産することができ、それは昼夜問わずお産がいつ始まろうと変わりません。そして、出産センターは病院で生むより低コストです。

とすれば、出産センターの実験プロジェクトとなった「チャイルド・ベアリング・センター」がニューヨークで開かれたのを皮切りに、出産センターの数が急激に増えたのも驚くに当たりません。妊娠期のケアを助産婦に頼んだ女性はそのサービスに満足し、ほかの医療ニーズでも助産婦を訪れることが多いといいます。

しかし眼鏡業界同様、助産婦らがたどった革新の道程も決して平たんではありませんでした。1970年代には、助産婦の地位は昔より低下していました。低コストにもかかわらず、出産センターの費用には保険金は払わないという保険会社が多かったのです。

しかし、出産センターの発展を遅らせた目に見えない障壁は、一部の病院経営者にみられる階級制の管理スタイルでした。初期のころ、1980年代にマサチューセッツビバリーヒルズのノースショア出産センターが、好意的であった母体のビバリー病院に衝突したのは、まさにこの点でした。病院形成者は顧客の自助能力を完全に認めることに難色を示しました。一方、助産婦らは、一人の人間がほかのものを監督し、組織内の人間関係に厳密な決まりのある、従来型の食快適な病院の管理体制に以後ご値の悪さを感じていました。代わりに、助産婦らはすべてのナースが台頭で、母親のどんなニーズにも自由に答えることができる水平的で柔軟な組織モデルを生み出しました。助産婦らはそのプロフェッショナルな仕事を特徴づける独立とチームワークを、組織構造にも反映させようとしたのです。水平的組織が彼女らの理想でした。