医学の歴史は汚辱だらけ


医学におけるドグマの問題は長く続いてきました。医学の歴史は、偉大な洞察をもった者が因習的な医学界の根強い敵意ゆえに自殺や発狂に追い込まれた汚辱の物語にまみれています。たとえば、病院に麻酔と消毒を導入し、外科手術に革命をもたらした二人の人物はいずれも発狂しました。その理由の一端はその業績が全く評価されなかったことにあります。ブライアン・イングリスが『医学の歴史』という素晴らしい本の中で、歯科医のW・T・G・モートンが1846年にマサチューセッツ・ジェネラル病院で麻酔薬の効果を疑っている観衆の前でそれを証明してみせてくれと頼まれた話を書いています。モートンが時間になっても現れないのをみて、ジョン・コレインズ・ヴァレンは「どうやらほかに御用がおありのようですな」と皮肉を言いました。ようやくモートンが現れて麻酔術を実演したところ、患者はまったく痛みを感じませんでした。そこでやっと、ウォレンは同僚たちに「これはインチキではなかった」と認めたといいます。にもかかわらず、モートンは当然受けるべき栄誉を受けられずに終わりました。彼は自殺を図った後、ほどなくして亡くなりました。

さらに穏やかならざることに、医学界は長らく消毒の習慣を取り入れようとしませんでした。かつて、外科医は手を洗ったり着替えたりする習慣がありませんでした。イングリスによれば、外科医の手術着があまりにも多量の血を吸って固まり、脱いでも手術着がそれだけで立っているほどであったといいます。一人の明敏な産科医は洗っていない医師の手から広がるのではないかと考え、同じ病棟の医師たちに新しい患者を診察する前に消毒液で手を洗うよう熱心に呼びかけました。その産科医、イグナス・ゼンメルワイスは職を追われ、嘲笑を受け、狂死しました。