指示代名詞:コソアド体系 


 日本語の指示代名詞は次のような、三段組織になっていることが英語などとちがうところで、「あれ」「あそこ」「あちら」のあとにドレードコードチラを加え、佐久間鼎以来コソアド体系と呼ばれて来た。

  コレ、ソレ、アレ
  ココ、ソコ、アソコ
  コチラ、ソチラ、アチラ

 この三つのちがいは、以前は近いもの、中間のもの、遠いものと説明されて来たが、それは話し手と相手とが同じ位置にいる場合のことで、一般には松下大三郎創唱の「話し手に近いものがコ、相手に近いものがソ、話し手からも相手からも遠いものがアだ」という説明がよい。ロンドンにいる友人に東京から手紙を書く場合、自分から遠いにもかかわらず、ロンドンをさして「そちらは寒いか?」とたずね、かつて一緒に旅行した長崎は、ロンドンに比較すれば近いにかかわらず、「あそこはよかったな」と言う。

  ヨーロッパでは、英語・ドイツ語・フランス語など、多くの言語では、この三つの区別をもたないが、スペイン語とポルトガル語はこの区別をもっている。アジアの言語では、中国語・ビルマ語・インドネシア語とヨーロッパ系のヒンディー語はもたないが、朝鮮語タイ語、ヴェトナム語、高砂族のある言語、タガログ語などにはこの三種の区別がある。また、アルタイ系ではモンゴル語にはなく、トルコ語にはあるという。

 コソアの体系は、われわれにとって重宝な区別のように思われる。ただし、もっと多ければもっとよいとは言えるかどうか。レヴィ‥ブリュルによると、アメリカーインディアン語の一派、クラマス語では、

  1ふれるほど近くにあるもの 2そばにあるもの 3相手の前にあるもの 4近くて、しかも見えるもの 5遠いが見えるもの 6ないもの 7なくなったもの 8見えないもの

を、ちがった代名詞で言い分けるそうだ。

       日本語のコソアドについて注意すべき点を述べる。

 注意すべき占 第一に、 コは話し手に近いもの、ソは聞き手に近いものと言うが、話し手の後ろにあるものは、聞き手からさらに遠いにかかわらず、ソレということがある。これの説明として、高橋太郎は、一度は「相手の勢力範囲は、話し手の勢力範囲より広い」という立場をとったが、あとでそれは「話し手と聞き手が同じ場所にいるという立場に立って、そこから中程度に離れたところにあるものとしてのソ」だと判定した(『国立国語研究所報告』昭57・3)。

 日本語では、コソアドは、外界の見えるもののみではなく、話題になった事柄もさし分ける。久野嶂の『日本文法研究』から例を借りれば、

  太郎は馬鹿で困ります

に対し、はじめての知識ならば、自分のものになっていないから、

  ほんとうにそんなに馬鹿なのですか

と受けるが、もしよくそれを知っている場合には、こういう。

  本当にあんな馬鹿では困りますね

 また、日本語でコソアドの体系がそなわったのは近世ごろのことで、古い時代のものは、

  あれはいかに(=ソレはどうしたのか)

  これやこの(=アノ)行くも帰るも別れては……

  めぐりあひて見しやそれ(=ドレ)とも分かぬ間に……

のように、今から見れば使い方のちがうものが見える。以前は、ソはイヅ(のちにはド)に対し、コは力(のちにはア)に対するものだったようである。

『日本語』 金田一春彦