境遇性をもつ語彙:「来る」「行く」は英語のcomeとgoに一致しない

 

 代名詞や指示語の類いは、話し手が誰であるかによって、さされるものがちがう。B・ラッセルは、こういう語彙は、自己中心的特殊語であって、物理学や心理学の方では用いられない単語だと言った(『思想の科学』昭24・I)。三上章は、このような語を総称して、〈境遇性のある語〉と呼んだ(『現代語法序説』)。近頃は、久野によって、〈見地〉という術語で考察がすすめられている、一群の語である。

 境遇性のある語彙は、代名詞・指示語ばかりではない。「今」「さっき」「きょう」「きのう」

 「あした」の類いも、その人がいつ発言するかによって、さされる日がちがう。

 日本人は、欧米人より「きのう」や「きょう」のような語を一般語のように使う傾向があるようだ。芥川竜之介などそういうことを一番しそうもない作家であるが、『羅生門』の中に、

  尤も今日は、刻限が遅いせいか、(烏が)一羽も見えない。

  下人は、さっき迄、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。

と書いてある。

 G・ショウの英訳では、on the day とか、a little beforeとか訳しているが、たしかにその方が正しい。日本の作家はこのあたり、語り手よりも登場人物の立場に立った言葉の使い方をすることが多い。形容詞や動詞「-ている」を現在形のままで過去を表わすのに使うのも、その一つの現われと思う。

       動詞の中で、境遇性をもっていて著名なものに、

   来る-話し手に近づく移動  行く-それ以外の方向への移動

  くれる-話し手に向かう物の移動  やる-それ以外の方向への物の移動

がある。「来る」「行く」が、英語のcome, goの用法と一致しないことがよく話題になる。英語では、約束した場合、

  I will come to your house tomorrow.

というが、日本語では、

  あした、おまえの家へおれが来るからね

とは言わない。日本語では一般に、相手本位の表現をすると言われながら、この語類に限って、自分本位の表現をするのは注意される。もっとも、日本語でも、九州と山陰地方の方言では、行クと来ルの用法が英語と同じになっている。

  「行く」と「来る」は、「-ていく」「-てくる」という形で、補助動詞としても使われるが、

この場合も境遇性が物を言う。

 1 ずい分この町も賑やかになってきた

 2 これからはさびしくなっていくかも知れない

 森田良行の『日本語の発想』に行き届いた考察があり、1のように過去から現在に及んだものには「来る」をつけ、2のように未来に進む時には、「行く」をつけることが多い。

 ただし、その未来の一地点にいると考えた時には、次のような「来る」をつける。

 3 暗くなってきたら明りをつけなさいね

 それから、進行の方向が自分と関わりない方に進んだ場合には、過去の場合でも「行く」を使うこともある。

 4 その後、かれらの夫婦生活がますます荒んでいったようだった