ヨーグルト長寿説


 細胞の食作用を発見し、白血球が病原菌などの異物を食べることで体を防御しているとする「食細胞作用説」を唱えたのはロシア生まれの生物学者メチニコフでした。今日でいうマクロファージの働きを指摘したこの学説により、1908年にノーベル賞を受賞したメチニコフ博士はその後、もう一つ注目すべき説を唱えています。

 ブルガリア南部のスモーリアン地方には長寿者が多く、1965年の調査では、100歳以上の高齢者が人口10万人あたり約32人もいるとされています。ブルガリアに長寿者が多いことはメチニコフの時代から知られていました。

 そのブルガリアで伝統的に食されてきたのがヨーグルトです。タラトル(ヨーグルトとキュウリのスープ)などの料理にも使われるほか、二日酔いを防ぐとしてヨーグルトを水で2~3倍に薄めたものをお酒の後に飲んだり、子供の下痢止めにもヨーグルトが用いられてきました。

 メチニコフ博士は人間の老化についての研究を進めるなかで、老化は腸内の腐敗菌がつくる毒素によって起こると考え、ブルガリアのヨーグルトに含まれる乳酸菌こそ、その老化のもとを断つ薬だとする「ヨーグルト長寿説」を唱えたのです。

 現在ではスモーリアン以外にも長寿地域が知られ、コーカサス、南米エクアドルのビルカバンバ、パキスタンのフンザは俗に世界の三大長寿地域とされています。

 このうちグルジアアルメニアアゼルバイジャンの3国にまたがるコーカサス地方でも、ケフィア(ケフィール)と呼ばれる発酵乳が古くから食生活に根づいています。ヨーグルトは普通、牛乳を原料として1~数種類の乳酸菌による乳酸発酵でつくられますが、ケフィアは牛、ヤギ、羊の乳を原料として、乳酸菌だけで数十種類、ほかにも酵母が共生している点が特徴とされ、乳酸発酵とともに起こる酵母によるアルコール発酵のため、1%ほどのアルコールを含んでいます。その昔、牧夫が山でしばったヤギの乳を革袋に入れ、馬の背にのせて山を下る間に乳が攪拌され、夕方の冷気で冷やされてできたのがケフィアだといわれます。

 長寿地域の多くは山間部などの僻地にあるため、人々の年齢が正確かどうか、何をもって長寿地域と呼ぶかという基準の問題など、いくつかの点で注意が必要です。

 たとえば以前はコーカサスにも100歳以上の長寿者が多いとされていましたが、グルジアの戸籍が整備されたのは1917年以後で、グルジアに住む90歳以上のお年寄りをその後調査したところ、半数は年齢が誤りだったことが明らかになりました。長老は村で尊敬を受けることから、年齢のサバを読んでいたのが主な理由でした。100歳以上の長寿者が人口10万人あたり約32人というスモーリアンの数字も、疑問視している学者もいます。

 仮に100歳長寿者が多いとしても、その数字だけが強調されて一人歩きを始めると、その地域の食生活に何か不老長寿の妙薬があるのではないかと考えるような、おかしなことにもなります。かつてビルカバンバの長寿の秘密はアンデス山脈の雪どけ水ではないかと唱えた学者がいましたが、その後の調査で、この水から大量の大腸菌が検出され、飲料水には適さないことが判明したという笑えない話もあります。

 これらの地域のお年寄りが骨折などから寝たきりになることもなく、高齢でも農作業などの仕事につき、元気に暮らしているのは確かなようですが、コーカサスに住む高齢者にしてもケフィアばかり食べているわけではなく、野菜や果物なども豊富にとっています。ライ麦の黒パン、そばやとうもろこしのおかゆ、皮つきのじゃがいもなどを主食として食べ、食物繊維を豊富にとっていることが推察されます。

 これらに加えて、動物性タンパク質の多くを肉や魚よりも牛乳やケフィア、ヨーグルト、チーズなどの乳製品から摂取しているのがこの地域の特徴だということです。