『カーヴァーズ・ダズン』を訳し直したとき

『カーヴァーズ・ダズン』という選集に入れたときに、読み直してみて、気になったところを何力所か手を入れて訳し直したんです。それが五年くらい前かな。それで今回また読み返してみたんだけど、「今だったらこうは訳さないな」と感じたところが何力所かありました。だから五年くらいで翻訳の方針とか文体もいくぶん変わるものなんだなと、そういうことを改めて実感しました。
 「今だったら」というのを細かいところであげていくと、「彼が」というのが多いですね。これはたぶん、わりに意識してそうやったのかなという気はするんです。訳した時点では、そういう即物的な方向に引かれる傾向が僕の側にあったのかもしれない。それから過去形でけっこう突っ張っていますよね。この前の柴田さんとの話にも出てきたことですけど、僕はわりに自然なかたちで過去形のあいだに現在形をちょこちょこと混ぜていくんだけど、ここではほとんど混ぜていないです。ただ、ここまであえてやらなくてもよかったなという気もしないではないですね。
 あと、ちょっと表現が変というのが何力所か目につきました。ごりごりしているというか。でもこれもただ単に結果的にそうなっちゃったのか、あるいは意識的にそういうふうにしたのか、今となっては思い出廿ないですね。
柴田 これは、カーヴァーの作品の中でも特に奇妙ですからね。
村上 文体はリアリズムなんだけど、かなりシュールーレアリスティ。クな話になっていますね。
柴田 だからかなり意図的になさった可能性が高いですね。
村上 かもしれないですね。ただし、僕が今これを訳すとしたらちょっと違うふうになるだろうなという感じがしますね。即物的で不条理なカーヴァーの側面というのはたしかにあるんだけど、また別のあけっ広げの側面も同時存在的にあるわけであって、重心が一方にちょっと移りすぎるきらいもあったかもしれないと。このあたりはまだ編集者のゴードンーリッシュの手が少なからず入っていますよね。時期的に言ってもね。
柴田 そうですね。ゴードンーリッシュはカーヴァー作品を即物的な方向に直しがちですからね。まあそうはいっても、訳すときにいちいち、このへんはリッシュの仕業らしいからちょっと臭みを抜こうとか、そんなこと判断できるわけないから、僕としては今回、とにかくもうこれが定まったテキストなんだと思って訳しました。そうするとやっぱり、そういう言葉を思い浮かべてはいなかったけど、即物的な感じに訳そうという気はありましたね。妾するに、何か人間らしさが抜けているでしょう、この主人公。
村上 そうですね。
柴田 非人間的、というんじゃないんだけど、いってみれば無人間的というか。で、逆にモノのほうが生命感があったりして。そういう点は意識しました。
村上 あともうひとつ、僕がこれを訳したときに、ずいぶん気になったことは覚えているんだけど、人称の問題ですね。「僕」にするか、「私」にするかという問題、これはものすごく悩んだ覚えがあるんですよ。それだけは覚えている。でも結局「僕」にしちゃったんですよね。というのは、「私」だと、はまりすぎるような気がしたんです。だからあえてここは「僕」にしたんだろ パうなという気はするんですよ。普通の人だと、八〇パーセントから八五パーセントぐらいは
「私」でいくんじゃないかな。この話はね。
柴田 僕はたぶん、「僕」にすると、肉声的になるから……要するに「僕」のほうが「私」より色がありますよね。で、なるべく色なし、人間性なしでいきたかったので、本当は、だから何も書かないのがいちばんいいんだけど、さすがにそうもいかないので仕方なく「私」にしたっていう感じですね。
村上 変な話だけど、失業者に「僕」つて使うと、あまりよくないんですよね。
柴田 どうしてですか?
村上 わかんないけど、失業者は「僕」じゃいけないんです(笑)。
柴田 ……どう答えていいかわからない(笑)。
村上 というのは、『ねじまき鳥クロニクル』という本を書いたんですが、主人公は失業してるんです。その冒頭のシーンで、彼は昼食にスパゲッティを作っている。で、文芸評があって、失業者がスパゲッティを作っちゃいけないって批判された(笑)。僕は知らなかったんだけど、失業者はやっぱり失業者のイメージを守らなくちゃいけないんですね。「僕」という人称は一般的に失業者になじまないと思われるところがあるかもしれない。だからあえて「僕」にしたということはあります。
出席者C スパゲッティじゃなくて、何だったらいいんですか?
柴田 ラーメンならいいんだな。
村上 ラーメンだったらオーケーです。鴨南じゃいけないと思うけど。
 あと、ポールーオースターのほうも、ちょっと迷ったんですけどね。これは、柴田さんはたぶん「私」だろうと……
柴田 あたりましたね。
村上 僕はこれについてはどっちでもよかったような気がするけどね。読み直してみたら、ずうっと「僕」できて、一ヵ所、「私」になっているところがあったんですよ。それはなぜかというと、僕は前半「僕」で訳して、後半を訳したときに、間違えて「私」で訳しちゃって、全部あとで書き直したんですね。それでIカ所消し忘れちゃった。それぐらいだから、べつに「僕」でも「私」でもどっちでもいいと思う。そんなにブレはない、ということです。

『翻訳夜話』 村上春樹