小説家兼翻訳者というものの限界


出席者F また「偏見のある愛情」ですが、好きでこれまでいろいろ訳してきた作家でも、たとえば初期短篇集だったら、ある程度、円熟期のものと比べると作品に粗があると思うんですけれども。
村上 ものすごくあります。今もカーヴァーの未発表の作品をまとめて訳してるんだけど、だいたいにおいて作者自身がボツにしていたものだから、ところどころしんどいですね、はっきり言って。でもね、センエツかもしれないけど、できることなら僕なりに少しでも引っ張り上げてあげたいという気がするんですよ。だから、たとえばそういうちょっと問題を含んだ短篇を誰か他の人が訳すというような話を聞いたら、行って奪い取ってきたくなるんじゃないかな。つまりできるかぎりの力を尽くして、良い部分をうまくのばそうというか。
出席者F そういうのも多少バイアスで直してあげちゃうとか、それもアリだとお考えですか。
村上 多少はね。でも、もちろん原文と違うのを書き加えたり削ったりはしないですよ。ただ、言葉の選び方とかで、少しでも一般的な読者が楽しんで読めるようなものにしたいという気持ちはありますよね。
柴田 それはそうですね。ここでこういう形容詞を使ってるけど、本当はこの人はこっちではなくて、こっちみたいな言葉を使いたかったんだと決めて、少しずらして文の流れを良くするとか。そういうことはふだんからよくやるので、そういうのがたぶん増えるんじゃないかな。
村上 昔つきあっていた女の子が困っているからちょっと行って助けてあげよう、とかね。
柴田 それはよくわからないけど(笑)。でも僕、作家自身にはあまり義理を感じないですね。読者は作家のファンになったりもするけど、最終的には本と読む人しかいないと思うから、訳者としては作品単位ですね、義理があるのは。
村上 僕も、カーヴァーが死んでテス(・ギャラガー)のところに行ったときに、机の中に未完成の原稿がドサッと入っているんです。で、テスはそれをエディットするのを手伝ってくれないかと僕に言ったんだけど、僕としてはそれはできないんだよね。そんなことしたら自分で続きを書きたくなってくるから。
柴田 うん、それやると第二のゴードンーリッシュになっちゃうでしょうね。
村上 ですよね。でもやりたくなると思うな。ここまで書いてあって、ここからどうするかって。そりゃやりたいですよ。
柴田 じゃあ、できないというのは、できるけどやらない、という意味ですね。
村上 そうです。できるとは思うけど、やれない。やっぱりカーヴァーつていうのはもう歴史的な存在だから、そんなふうにいじったりすることはできないということです。
柴田 だけど、たとえば『明暗』が途中で終わっていて、その『続・明暗』を書く、ということはあるわけじゃないですか。それとは話が別か……
村上 『明暗』まで行くと、作品が一般論として確立していますから、いじっても「遊び」として通用するんです。
柴田 そうですね、『明暗』自体にある程度イメージがあって、それに対するひとつの解釈として「続」が出せる。知られていない未完の続きを書くというのとは違いますね。
村上 そのへんがやっぱり小説家兼翻訳者というものの限界というか、純粋な研究者にはなれないんですよね。最後のところで実作者としての欲が出てきてイライラしたりする。オリジナルがゆらがないから。
柴田 僕の場合でいうと、好きな作家というのは、わりとコンスタントにいい人が多いので、結局みんな訳しちゃうんですけど(笑)。でも、場合によってはこれはほかの作品より落ちるかな、と思うことはあります。で、そういうとき、いちいち言葉にはしてみないけど、要するに、自分が読者だったら、これを読んでよかったと思えるかどうか、ということを判断の基準にしているんだろうと思う。その結果、これはパス、と決めたケースもありますね、確かに。
 あと僕は、「これは駄作だ」とはっきり言えるだけの自信が自分にないですね。これは自分で好きだ、良さがわかる、というのは実感として比較的もてるんですけど、良さがわからないというのは、単に自分がわからないだけじゃないかと思って。「これは悪い」という実感を僕がはっきりもつとしたら、それは相当悪いってことです(笑)。
村上 ただ、短篇集を一冊やって、半分はいいけど半分はちょっとな、という場合がありますよね。例にとって悪いけど、あのデニス・ジョンソンのJesus' Sonだって、いい短篇はめっぽういいけど、もうひとつのはもうひとつですよね。              、
柴田 まあそうですね。当たり率はかな旦咼いですけども、それはそうですね。
村上 だから、あれ一冊頭から全部訳すとなると、個人的に思い入れがないとしんどいだろうなという気がしなくはないのね。
柴田 短篇集の場合、それははっきりありますね。これはちょっと早く終えて次に行きたいなというのが。読んでいて、まったく均質に同じくらいどれもいいというのは、ちょっとないですよね。それは、CD一枚のなかで、この曲とこの曲が特にいい、とかいうのと同じです。

『翻訳夜話』 村上春樹