悪い家族が精神病を引き起こす?

 第二次世界大戦後、母親の悪い養育が統合失調症の原因であるという学説は、家族全体が問題であるという方向へと拡大していきました。家族の相互作用によって統合失調症が発生すると提唱したのは、そのほとんどが、フロイト理論を学んだ精神分析学者でした。

 エール大学のセオドールーリッツ博士はこのような理論家の代表でした。一九五二年にリッツらは、統合失調症患者がいる一六家族について研究を始めました。この研究では正常対照群との比較は行われませんでした。リッツらは、統合失調症患者の母親のおよそ半数が、「風変わりで、精神病に近い状態であるか、明らかに統合失調症であった」と結論し、父親も、「きわめて有害で病的な影響を家族や患者に及ぼしている」可能性があると述べています。 一九五六年には「二重拘束説」が生まれ、その後の家族相互作用説に大きな影響を与えることになりました。これは基本的には、親が子供に、相反するような言葉のメッセージと態度のメッセージを与え続けるために子供が統合失調症になるという説です。この学説を記した最初の論文の主著者はユング派の精神分析を受けたことがある人類学者のグレゴリー・ペイトソンであり、ドンージヤクソン、ジェイーヘイリー、ジョンーウィークランドらも著者に名を連ね
ていました。後にベイトソンが書いたエッセイによると、二重拘束説は、彼の行っていたコミュニケーション理論やサイバネティクスパプアニューギニアの原住民の儀式、イルカの意思疎通法、そしてルイスーキャロルの『鏡の国の世界』などの研究から思いついたとのことです。比較対照群を用いた研究は行われておらず、ベイトソンも、「この仮説は統計学的に検定されたことはない」と平気で述べています。事実、統計的に検証されたことはなく、しかも、振り返って考えてみると、二重拘束説の唯一の起源はルイスーキャロルの考えであったように思われます。

 統合失調症の家族相互作用理論は精神分析理論と同様に現在ではすたれています。その理由の多くは、精神分析理論が捨てられた理由と同じで、科学性に欠けるだけでなく、他の研究者が正常対照群の家族と統合失調症の家族とを比較したところ、家族相互作用説で言われているような結果は得られなかったからです。たとえば、古くは一九五一年にプラウトとホワイトは、統合失調症男性二五人の母親と健常男性一一五人の母親とを比較したところ、明らかな盖は認められなかったと報告しました。その後同様な結果を得た研究はいくっもあります。家族相互作用説のもう一つの大きな問題点は、家族の相互作用が統合失調症の病因であるのか、それとも統合失調症が発病した結果生じたものなのかを区別していなかったことです。統合失調症を治療していると、家族の意思疎通を含めた正常な家族生活に混乱が生じることを痛感しますが、これは家族の一員が統合失調症を発病したことの結果として起こりうることです。

 科学性が欠如していることに加えて、悪い母親あるいは悪い家族によって統合失調症が発病するという説は、常識的感覚ともずれています。子供にえこひいきをしたり、矛盾したことを言うだけで統合失調症のような病気を引き起こすほどの影響力は親にはないことは、子供を育てたことのある親であれば誰でもわかっていることです。それに、一人の子供が統合失調症を発病したとしてもほかにまったく健康な子供が何人かいる場合がふつうです。こういったことは、この学説への決定的な反論となるものです。