「天寿を全うする」意味

 高齢化社会となれば、老人患者にはこれまで長く社会的な生活を営んできた結果がある。政治家にも企業経営者にも学者にも、それぞれの生活環境からくる複雑な人間関係が生まれている。だから、たとえその本人が望んだとしても、そう簡単には結論のだせないことが幾つかある。たとえば政治を動かしている人物が、自らは尊厳死を希望したとしても実際にその場になれば、それが簡単に受けいれられることはない。最大限の治療をすることが医師たちの暗黙の諒解になるのである。

 医学界の重鎮ともいうべき有力者が、脳障害で倒れ、植物人間の状態になったという。その症状は進み、まったく回復の見込みがなくなった。人工延命装置で生命を保つ以外になかった。このときに門弟たちの間で、この有力者の治療を果てしなくつづけるか、それともある段階で打ち切るか、という論争がめった。すでに八十代から九十代にかかろうとしているこの有力者には、多くの門弟がいたために、そのひそかな論争ははからずも尊厳死を認めるか否かの意味あいをもったといわれている。

 結局、治療がつづけられることになった。とにかく最新の医学知識と医療技術を用いてこの有力者の回復に期待をかけたのである。しかし、この有力者は回復はしなかった。昏睡状態で人工延命装置に包まれての生がつづいた。それが十年近くもつづいて逝った。

 もしこの有力者が、そのような立場にいなかったら、こういう治療は行なわれなかっただろう。門弟たちの熱意があればこそのことだった。だがそれは成功しなかった。

 医師たちに問われているのは、「患者の延命のためにあらゆる努力を惜しまない」とのドグマから解放されることだと、当の医師たちが発言を始めている。こういう医療では、必ずしも患者の竟に沿った医療が行なわれることにならないのではないかとの自省である。

 その自省が高齢の医師たちによって始まっているのは、医療内部にも変化が起こってきていることの証しでもあり、何より高齢化社会での延命を問い直すきっかけになっている。しかもその延命が旧来型の医学教育を受けた医師たちによって行なわれ、それが患者やその家族から必ずしも歓迎されない時代になっているのを知ったからだ。

 人間の寿命のことを日本人は天寿といってきた。天、つまり神や仏によって定められた期間を生き抜いたことを天寿というのである。ところが日本人は「天寿を全うする」といいながら、その命は神や仏からさずけられたものとは考えない。それは親から与えられたものという家族主義の中にとじこめてきただけである。

 医師が親から与えられた生命を懸命に守ろうとする、それが日本人の医療での実際の姿であれば、キリスト教圏の医療のように今生での医療の努力が実らなかったら、神のもとに召されていくという諒解とは異なる姿でもあった。こういう姿のもとでは、尊厳死は神のもとに召されるのを主体的に決意し、それを医師によって行なってもらう崇高な行為というようには考えることができない。

 日本では、親からもらった患者の命を徂末にする、あるいは親からもらった命を失ってしまったという悔いを、医師たちに残すことになる。高齢になった医師たちの多くが、人間は安らかに死ぬべきである、といいだしたのは、そういう悔いの感情を捨てるべきであるといっているように思える。


安楽死尊厳死保阪正康著(1993年)より